お久しぶりの

ブログを開設して2年。

2つの記事を最後に放置しておりました…

 

対外的な文章を書くことも好きだけど、やっぱり自分の書きたいことを書きたいときに書くだけのブログにしようと決めました。

 

ーーー

 

小学生のころから、何をするにもアウトプットは文章だった私。高校に上がるまでは毎日日記をつけていたし詩とか小説(人にはとても見せられたものではないけれど…笑)を書き溜めたノートは今でも実家に何十冊単位で捨てずにとってある。

書くことで考えを整理したり自分と向き合うことが多かったけれど、Twitterとインスタを始めたあたりから、段々と私生活がSNSに支配されていって、短い言葉で簡略にしか自分の感情を表せなくなってきていることに気づいた。

 

韓国語で生活する中で、「外国語だから」と言い訳をしてきたけれど、日本語でも表現できない感情が増えた。これは単に昔よりも感じることのできる領域が広がったりより多くの感情を知ることになったからだけではないということを自分でも知っている。

 

常に小説の中の住人だった中学生までの私は、見たもの、触れたもの、感じたものをその時々新しく出会った言葉に落とし込んでいくのが好きだったし、得意だった。はず。

それが出来なくなっていることに気づきながらも目をそらし続けた結果、ほぼ6年間、論文で出会った用語や学術的な知識ではない、日常生活で私たちが口にする、当たり前でいて人間にとって一番大切な「語彙」がアップデートされることなくここまで来てしまった。

 

巷で流行っている自己啓発のための'글쓰기'とか、そういうもののためではない。ただ自分が自分をどうしても見失っているとしか思えない今日のこの状況が、自分にとって危機的で非常事態でなんとなく不便なだけだ。

 

自分を定義する外的要因は必要ないけれど、自分自身のことは理解しなければならない。自分取扱説明書が必要なのは、恋人でも、友人でもなく、まず自分自身。それを分かっていながらも、その場の「楽」に流されて疎かにしてきたつけが回ってきている。この状況を克服するために必要なのは、情報の海でも、お酒でもなく、文章なのだと確信を持って言える。

 

 

長々と書いてきたけれど、誰かに見せるためでも、自己啓発のためでもなく、自分らしく生き生きと生きるための方法が、私にとっては、文学の中に生きることであり文章の中に自分を映し出すことなのだと思う。

 

SNSを離れて1週間。もちろん見る時間がないくらい切り詰めた生活をしていたのもある。寝ても覚めても資料に向かい、理解と暗記の繰り返し。これ以上詰められる時間はないと自信を持って言える、そんな生活をしていた1週間で、それまで私は否定のしようがない「SNS疲れ」をしていたのだと実感した。

 

SNSは私が生きるべき場所ではない。人と比べるな、という言葉をよく聞くけれど、私は目に入ると無意識のうちに比べてしまう。

あの子はすごい、この子もすごい、みんなすごい。自分はこの子たちの3倍は努力しなきゃ。努力しよう、頑張ろう。行動しよう…。

 

結局そんな決心だけをして終わってしまう。これ以上の時間の無駄遣いはない。

 

生産性主義だった大学1、2年生の頃の自分。周りが何と言おうと私はこの時が一番きらきらしていて一番楽しかった。

完璧主義より完了主義。もちろんそうだ。

でも完璧を追求すること、生産性を追求することが悪いことだとは思わない。最終的にはそこを目指すべきだ。

 

言葉だけ、中途半端、やる気、モチベーション、情熱。

 

自分はこの世界線では生きていけない。自分の価値観はここにある。

 

自分を守るために、文章を書く。

 

そう決めた今日の明け方。試験期間、何か他のことをするために時間を捻出するのが怖かったけれど、授業の合間を使って久しぶりに自分と向き合ってみた。

 

今日からまた心を空にして、1週間を過ごすことにする。体を壊さない程度に、毎日をこなしていこう。

 

次回からは楽に文章を書くつもり。

幸せな一生は、幸せな1秒から。

 

ばい