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2023年が終わり、2024年がやってきてはや1週間。
2023年は、どうやって表現したらいいか分からないくらい沢山のことがあって、今まで生きてきた中では底だと思うくらいに、人間が信じられなくなって自信も自尊心もなくなって、そのストレスから体調も崩して、しんどくて辛い1年だった。
特に自尊心が日に日に削られて、心がえぐられていくのが自分でも分かって、原因も分かっているのにそこから離れることができない環境で。人間関係に本当に苦労した年だったな。
久々に家族や信頼する友だちと会って、たったの1週間ちょいだけど、だいぶ心も身体も楽になった。韓国にいる時は、大学の友だちに頼りっぱなしでずっと支えてもらっていたけれど、信頼できる友だちが周りにいる環境よりも、自分を蝕んでいく存在と距離を置くことが必要だったんだなと今になって思う。大好きな国文科の友だちには今でも申し訳ないしありがたい。来学期は自分と常識を共有出来て、やるべきことをできる人たちとだけ、関わっていきたい。
でも、それで言ったら、どこに行っても高麗大学の友人の存在が大きかったな。しんどくてストレスを受けて頑張っても笑えない日が増えていた時、その中でも笑顔にしてくれた人たち。そんな人たちとこれからも一緒にいられたらいいな。
やりたいことや価値を見出すことがはっきりしてきた分、そこに合わない人・者たちは果敢に切り捨てる力が必要なんだと思う。合わないものをいつまでも引き留めておく必要もないし、そうしたくもないけれど、最近友だちに言われてはっとした言葉がある。
「私は好きか嫌いかの二分法で考えてしまうけど、あなたは苦手とか合わないっていうカテゴリーを作って、いい子なんだけどね…優しいんだけど…と言って関係を切らない。一長一短あると思うけど、それによってあなたが身体を壊すまでストレスを受けるんだったら無理にその関係を維持する必要もないと思うよ」
確かにそうだ。合わない子は五万といるけれど、良いところもあるからなあと思って後々自分が苦しむのを分かっていながらもその子たちに時間も感情も使ってしまう。そして、良いところに目を向けて、最後に一回だけ信じてみようかなと思ってしまう。どうせ裏切られるのが目に見えているのに。
果敢になろう。私は私が一緒にいたい人たちとだけ一緒にいる。
底抜けに明るくいられた過去の自分、あの時みたいにいさせてくれる友だちが日本にはもちろん、韓国にもいる。ありがたいことだ。今年はここ数年見失っていた「スーパー無敵ハッピーちゃん」を再召喚しよう。たぶん韓国で出会った子たちはあの私をしらないだろうな。驚くかな。
そしてもうひとつ、今年は自分が好きなみんなに心配をかけないように生きる。たぶんもう大丈夫だとは思うけど…幸せに生きる!
目標とかはしっかりまとめてまた上げよう。
覚書までに。
由煕
日本語で書かれているが、話し手は母語が韓国語である韓国人のオンニ。
日本に対して、当時の韓国人の平均的な考えを持っていると言える韓国人オンニを通して、在日同胞に対する視線を描いた作品。
日本には北朝鮮の総連があるから思想的にも危ないかもしれない。
띄어쓰기や表現、発音などが上達しないことに対するいら立ち。
本国の学生には考えられないくらい簡単な試験を受けて大学に入ることのできる在外同胞に対するやっかみ。
当時の韓国人が在日同胞を見るときには当たり前かつ普遍的なものだったのではないか。
由煕は、父親が韓国や韓国人を悪く言うことが嫌で、祖国を知ろうと努力したし、自ら母国留学という選択をした。
韓国人でありながら、韓国人になりたいと努力した。
韓国を知り、生活に慣れるために下宿を転々としていた。
そんな由煕を苦しめたのは、韓国語と、‘우리という共同体’なのだと思う。
由煕が思い描いていた理想の祖国との乖離。
在日同胞は日本人に近い、ほとんど日本人のようなものだという韓国人からの視線。
それに加え、当時の時代背景は、由煕を圧迫するしかなかったのではないか。
80年代の韓国は、民主化運動まっただ中。政治的にも経済的にも不安定な国だった。
当時の日本は高度経済成長を通して一足先に政治・経済面での安定がなされていた。
どうしても、韓国より進んでいた日本から来たという意識が、無意識の中で優越感や韓国に対する蔑視を生み、そのことにもまた苦悩していたのではないかと思う。
オンニが由煕に、日本人以上に韓国を蔑んでいる、小さなことも見逃せなくてけちだと言うが、過去の植民地宗主国で、そこの言語を第一言語とし、そこの国民と同じように生きてきた自分が、祖国に対してそのような感情を抱くことにもまた苦しんだのではないか。
同時に、韓国・日本ともに在日朝鮮人に対する理解が現在以上にされておらず、由煕は自分のアイデンティティが揺らぐしかなかったのだと思う。
その中で、どちらにも属していない・属することのできない自分自身を表現するには由煕は日本語という手段しか持ち合わせておらず、その様子が韓国人のオンニをもどかしくする原因になったということである。
韓国語が嫌いだという由煕は音としての韓国語に苦しめられるが、同時に大琴の音は우리말と表現する。
同じ「音」でも、言語ではない「韓国の音」。
由煕が聞いたままに受け入れ、韓国人と同じように感じることができるもの。
韓国人と同じ感覚を共有できるもの。
抽象的な우리という共同体に対する拒否感は、自分がそこに所属できないからこそ出てきたものであり、大琴の音は、この共同体に属している人と同じように受け止めることができ、自分が疎外されないものだと認識したのではないか。
最後に由煕は大学を中退して日本に戻ってしまう。
これは、韓国に適応できずに逃げてしまった、諦めてしまったと見るのではなく、「第3の道」、つまり日本で朝鮮人(または韓国人)として生きていく道を選んだのではないか。日本では韓国を悪く言う父親に対して意地になって韓国を守ろうとし、韓国ではここが自分の居場所ではないことを感じた由煕が、どちらかに所属すること、「日本人」「韓国人」になることではなく、「在日同胞」として生きていくことを心に決めて日本に行くことを決めたのではないか。
当事者ではない私が、このようなことを思ってもいいのだろうかと悩んだが、残しておきたい気持ちを抱いた。
それは、留学生としてここにいる私と重なる部分があるということだ。
우리という共同体。私は、国や民族に対して、この言葉を意図的に避けている。
우리は「私たち」ではない。「私が所属している団体」であり、一度その範疇に入ると、他人ではなくなるような気がする。
「私たち」に含まれる相手も、所詮は他人。なぜなら、「私」が複数集まっただけだから。
個人の集合体が「私たち」なのであり、「우리」は個人の集合体ではない。
そこに所属しない、またはできない存在でありながら、その中で生きることを強いられること。言語という確実な壁がありながら、それをないものとしてみなされること。
「あ」と「아」を毎朝選択しなければならないこと。
入ることのできない「우리」に参加する時、私は疎外感を感じる。
ただ、私は우리 나라と呼べる国はある。
由煕には우리 나라が存在するのだろうか。
우리말と呼べるものがあるのだろうか。
私には、分からない。
暮
雨の音を聞きながら眠りにつき、雨の音で目が覚めた今日。
明日からは寒くなるそうだ。最後にと思って、お気に入りの短いパンツをはいてきた。
大学までの道はすっかり秋に色づいていた。赤や黄色に染まった地面を踏みながら歩いていく。膝のあたりが内側から冷えていく。今日でこのお洋服もおしまいかな、タイツを履けばもう少しは着れるかな。
授業を受けて校舎を出ると、雨はやんでいた。ひんやりと冷たい空気は、季節の入れ替わりを感じさせる。私はこの季節の境目が好きだ。
春から夏に、夏から秋に、秋から冬に、そして、冬から春に。
移り変わっていく季節は、いつもその時々の香りを置いていく。
でも、ここには私の好きな香りがない。
雲の流れは速かった。隙間から顔を見せる青空と、細く差し込む陽。
それを隠すように、また灰色の雲が迫ってくる。
湿った葉の匂いは、暮れていく1年を思い出させる。年々、「1年」が早くなっていく。
60日もすれば、私はまた新たな決心をするだろう。
なんとなく寂しくなるのは、もうじき過ぎ去ってしまう1年に対する未練なのか。
それとも、やってくる1年に対する漠然とした期待と希望と、少しの不安なのか。
不安はない。未練もない。そう思えるのは、いつぶりだろう。
私の好きな香りがないこの場所で、それでも生きていきたいと思える。
ふと顔を上げると、大粒の雨が窓を叩きつけていた。
おわり
長いようで短い試験期間が終わった。
3日で40時間以上の순공시간を埋めてもなお、まだできる、まだできる…という思いから夜も寝付けず、朝も何度も目が覚め。日中14時間の勉強中、眠くなることも1度もなかった。
強迫観念。誰よりも誰よりも勉強して、韓国学生の5倍は勉強して、ようやくA+が取れる。成績にここまで固執するようになったのはいつからだろう。
韓国学生と同じ基準で選抜される奨学金。貰ってはいるけれど、貰えなかったものも、希望の金額には届かなかったものもある。私の横で、お酒を飲みながら志望書を書いていた友だちが、4時間かけて志望書を書いた私よりも多い奨学金を貰ったのも見たことがある。
頭のいい韓国の学生と同じ場所にいたい。ここにいるからには、そして、私を外国人ではなく一人の友だちとして見てくれる友だちに囲まれているからには、私も同じ線に立っていなければならない。
この思いは、この大学に、大好きな友だちが増えるたびに強くなっていったものなのかもしれない。外国人だから気を使ってくれているわけではないというのが分かるからこそ、もっとみんなと一緒にいたいと思う。
誰かと一緒にいたいと思ったとき、私は頑張れるのかもしれない。
外的なモチベーションに頼ることが嫌いだし、そんなものを求めていたらいつまでたっても成長も発展もできない。
ずっとそう思ってきたけれど、実は私も、一緒にいたい人たちの存在によって頑張る理由を探しているのかもしれない。
身体が壊れてでもやるしかないというほどの強迫観念と完璧主義は、良いものではないだろう。頑張るって言葉も嫌いだ。頑張っていると思っている時点でレベルの差が見えている。でも今はまだ頑張ることでしかみんなに追いつけない。
大学の友だちの存在。大切な人たちがまた増えた。
大切な人たちの大切な人になりたい。
上を向いていこう。!
没入
今朝も6時50分に図書館出席。
誰もいない閲覧室で1時間超集中。
8時に1リットルに肉迫する3ショットのアメリカーノを買いに行く。
ここで携帯の電源を切る。
朝握ってきた特大おにぎり2つで夜まで凌ぐ。
朝晩はお家で温かいものを食べる。
片手には常に講義資料。
脳みそのひだを1本1本感じられるくらいの集中力を持て余すのはもったいないと思う。
誰にも期待しない。誰かに期待しても返ってくるものは何もない。
過去に学習したはずだったのに、最近また、期待以上のものを返してくれた・返してくれる数名に出会って、無意識のうちにその経験を他人にも代入していたみたい。
自分がやればいいや。自分でやるのが一番早いや。
この考え方は良くないと言われたけれど、結局またこれを立証する出来事が立て続けに起こった。
自分以外信じない。その代わり、自分のことはどこまでも信じる。
信じられるだけの能力があることも信じている。だからこの能力を育てて、使って、証明しないといけない。
勉強は結局過去を知り、現在を考察して、未来に繋げること。
こんなに楽しくて素敵なことが他にあるか分からない。
現在はすべて過去の積み重ね。過去を知れば現在が見える。
試験前の図書館で、講義資料を読み込みながら、ロマンティックな過去と現在に思いを馳せて感動している人間が私以外にいるだろうか。
集中しているときにこそ、この感動体験が手に入ることを知っている。
感動の連続であるこの期間が、なんだかんだ言って私は好きだ。
お久しぶりの
ブログを開設して2年。
2つの記事を最後に放置しておりました…
対外的な文章を書くことも好きだけど、やっぱり自分の書きたいことを書きたいときに書くだけのブログにしようと決めました。
ーーー
小学生のころから、何をするにもアウトプットは文章だった私。高校に上がるまでは毎日日記をつけていたし詩とか小説(人にはとても見せられたものではないけれど…笑)を書き溜めたノートは今でも実家に何十冊単位で捨てずにとってある。
書くことで考えを整理したり自分と向き合うことが多かったけれど、Twitterとインスタを始めたあたりから、段々と私生活がSNSに支配されていって、短い言葉で簡略にしか自分の感情を表せなくなってきていることに気づいた。
韓国語で生活する中で、「外国語だから」と言い訳をしてきたけれど、日本語でも表現できない感情が増えた。これは単に昔よりも感じることのできる領域が広がったりより多くの感情を知ることになったからだけではないということを自分でも知っている。
常に小説の中の住人だった中学生までの私は、見たもの、触れたもの、感じたものをその時々新しく出会った言葉に落とし込んでいくのが好きだったし、得意だった。はず。
それが出来なくなっていることに気づきながらも目をそらし続けた結果、ほぼ6年間、論文で出会った用語や学術的な知識ではない、日常生活で私たちが口にする、当たり前でいて人間にとって一番大切な「語彙」がアップデートされることなくここまで来てしまった。
巷で流行っている自己啓発のための'글쓰기'とか、そういうもののためではない。ただ自分が自分をどうしても見失っているとしか思えない今日のこの状況が、自分にとって危機的で非常事態でなんとなく不便なだけだ。
自分を定義する外的要因は必要ないけれど、自分自身のことは理解しなければならない。自分取扱説明書が必要なのは、恋人でも、友人でもなく、まず自分自身。それを分かっていながらも、その場の「楽」に流されて疎かにしてきたつけが回ってきている。この状況を克服するために必要なのは、情報の海でも、お酒でもなく、文章なのだと確信を持って言える。
長々と書いてきたけれど、誰かに見せるためでも、自己啓発のためでもなく、自分らしく生き生きと生きるための方法が、私にとっては、文学の中に生きることであり文章の中に自分を映し出すことなのだと思う。
SNSを離れて1週間。もちろん見る時間がないくらい切り詰めた生活をしていたのもある。寝ても覚めても資料に向かい、理解と暗記の繰り返し。これ以上詰められる時間はないと自信を持って言える、そんな生活をしていた1週間で、それまで私は否定のしようがない「SNS疲れ」をしていたのだと実感した。
SNSは私が生きるべき場所ではない。人と比べるな、という言葉をよく聞くけれど、私は目に入ると無意識のうちに比べてしまう。
あの子はすごい、この子もすごい、みんなすごい。自分はこの子たちの3倍は努力しなきゃ。努力しよう、頑張ろう。行動しよう…。
結局そんな決心だけをして終わってしまう。これ以上の時間の無駄遣いはない。
生産性主義だった大学1、2年生の頃の自分。周りが何と言おうと私はこの時が一番きらきらしていて一番楽しかった。
完璧主義より完了主義。もちろんそうだ。
でも完璧を追求すること、生産性を追求することが悪いことだとは思わない。最終的にはそこを目指すべきだ。
言葉だけ、中途半端、やる気、モチベーション、情熱。
自分はこの世界線では生きていけない。自分の価値観はここにある。
自分を守るために、文章を書く。
そう決めた今日の明け方。試験期間、何か他のことをするために時間を捻出するのが怖かったけれど、授業の合間を使って久しぶりに自分と向き合ってみた。
今日からまた心を空にして、1週間を過ごすことにする。体を壊さない程度に、毎日をこなしていこう。
次回からは楽に文章を書くつもり。
幸せな一生は、幸せな1秒から。
ばい
韓国語の濃音化
こんにちは。쩸です。
今日は私が備忘録として(?)
学習記録の一環として、韓国語の濃音化についてまとめたいと思います。
韓国には、文科省的なところが出している표준어 규정という規定があって、そこに発音などについての様々な原則が定められています。
最新のものは2017年3月にアップデートされた模様です。
この표준어 규정の第2部第6章に、경음화〈硬音化〉(濃音化)という項目があります。
ここで、韓国語学習者なら最初に習う
「パッチムㄱ, ㄷ, ㅂ(とそれに準じる子音)の後の子音ㄱ, ㄷ, ㅂ, ㅅ, ㅈは濃音になる」
という規則も定められているんですね。(第23項)
第6章は第23~28項の6項目からなっています。
そのうち、独学で韓国語を学んできたわたしがテキストでは出会えなかった規則が、なんと4つ。
わたしの記憶が曖昧なのもありますが、
規則としてテキストで覚えた濃音化は、
上で書いたㄱㄷㅂの後の子音と、
パッチムㄹㅂ, ㄹㅌの後の子音ㄱ, ㄷ, ㅅ, ㅈ(第25項)
の2つしかなかったような気がします。
その他、「未来を表すㄹの後の子音は濃音化する」というのは、韓国人の友だちに
할 줄 알다
하는 줄 알다
の違いを聞いたときに「発音も違うんだよね」と言われ、
そういえば할 거예요. も할 꺼예요.で発音してるように聞こえるかも…。という自主的な気付きにより会得したものでした。
こちらも、第27項に
『冠形詞型ㄹの後に連結するㄱ, ㄷ, ㅂ, ㅅ, ㅈは濃音で発音する』
と規定されています。
ㄹで始まる語尾の場合もこれに準ずる。とあります。
할지라도
할지언정
とかも確かに할찌.. で発音されますよね。
この辺りはなんとなく濃音で発音していましたが、こうやって規則として決まっているのを見ると、腑に落ちる感じ。
“なるほどね、ちゃんと規定されてる決まりなのね”
なんて思いながら例を見ていて、わたしは衝撃を受けました。
할 수 있다
の発音が、
할 쑤 있다
だと言うのです。
知らなかった…。
言われてみれば할 수 있다も未来形のㄹだし、考えてみたらそうなんですけど、
わたしはこの3年間、こんなによく使う文法の発音を間違えてきたのか。
あんなに沢山、ネイティブの할 수 있어を聞いてきたのに、一度もㅆで発音していることに気づかなかったのか。
현타が来ました…。
ㅅとㅆが、ネイティブの日常会話の単語中に出てくると聞き分けられないというのは一応自覚はしていました。
今回これに関して調べる事になったのも、他の単語でㅅとㅆを聞き分けられなかったからです。
それでも、今まで自分がどんなに適当に韓国語を聞いてきたのかとびっくりしてしまいました…。
とにかく。衝撃を抱えながら、표준어 규정を読み進めていきました。
次は漢字語の中での濃音化についてです。
こちらも個人的な気付きにより過去に調べたことが有り、規則としては一応知っていました。
漢字語で、ㄹの後に連結するㄷㅅㅈが濃音化する(第26項)
というものですね。
갈등〈葛藤〉[갈뜽]
발전〈発展〉[발쩐]
こういうやつです。
これは知ってる。ok。次。
ここまでは、なんとなく知ってたり、調べたことがあった規則でした。
残された2項目は、
第24項 語幹パッチムㄴ(ㄴㅈ), ㅁ(ㄹㅁ) の後に結合する語尾のㄱㄷㅅㅈは濃音で発音する。
第28項 表記上はㅅ(사이시옷)が無くても、冠形格機能を持つㅅがあるべき(休止が成立する)合成語の場合、後の単語のㄱㄷㅂㅅㅈは濃音で発音する。
です。
まず、こんな規則があること自体知りませんでした。
初めまして😅
こちらを説明すると、
まず第24項については、
まあ書いてある通りなんですけど、
ㄴ, ㅁとそれに準ずるパッチムのあとの語尾のㄱㄷㅅㅈになります。
더듬다[더듬따]
신다(履く)[신:따]
になるっていうことですね。
あれ?でもわたしこの発音する時、ちゃんと濃音で発音してるぞ…?
???何なんだ。
とにかく。(笑)
発音はしていたけれど、知らなかったので衝撃でした。
今後知らない単語を目から吸収した場合には気をつけておこうと思いました。
そして最後。
第28項、こちらも書いてある通りなのですが、
合成語の場合に、〜の〜(日本語で言う所有格)の機能を持つㅅが間に入るのですが、
表記上これが入らない場合があります。
例を見ていると全てパッチムありのものだったので、そのせいで入れないのかな?と思います。
パッチムなしの単語の場合でも入らない場合があるのかな?そこに関しては分かりませんが。
とにかく所有の関係を持った合成語の場合、あとにくる単語のㄱㄷㅂㅅㅈが濃音で発音されるという規則です。
これも確かに
술잔[술짠]
=술의 잔(お酒のグラス)
오늘밤[오늘빰]
=오늘의 밤(今日の夜)
그믐달[그믐딸]
=그믐의 달(最後の月)
길가[길까]
=길의 가(가は単独で単語としては成り立たないものと理解してますが)
などで、接してはいましたね。ただこれに関しては、単語単語でそう発音する事は知っていても、この規則自体は全くもって初めましてでした。
実は今回、땅속 뿌리という単語を接したのが、この濃音化について調べるきっかけだったのですが、
この単語、第28項の規則に則って、発音は
땅쏙뿌리
です。
濃音攻撃が激しい…🤣
今でこそ
濃音って韓国語独自の発音ですごくセクシーじゃない?!
などという戯言と共に一時期濃音にどっぷりハマった結果、
発音も韓国人に聞き取ってもらえる程度にはできるようになりましたが、
3年前の、まだㄱㄲㅋを発音し分けられなかった私に
発音練習させてあげたい🤣🤣🤣🤣
そんなこんなで、濃音について一通り規則をまとめてみました。
しかしここで。
あれ?そういえば
アルコール度数
って言う時の
도수
って、発音
도쑤
だったような…?
という疑問が出てきました。
これはこの6つの項目中、どこにも該当しません。
強いて言うなら
度の数
だから所有格っていう扱いになって第28項?なんて思ったりもしましたが、
だったら
돗수
となるはず。
うーん…
こちら、考えたりNAVERに調べたり韓国人に聞いたりしてみたのですが、解決せず。
最後の手段として、
국립국어원(国立国語院)に質問を送りました。
‘알콜도수, 안경 도수라고 할 때 도수의 발음이 도'쑤'인 이유가 뭔가요?
어문규정에 보면 "표기상으로는 사이시옷이 없더라도, 관형격 기능을 지니는 사이시옷이 있어야 할(휴지가 성립되는) 합성어의 경우에는, 뒤 단어의 첫소리 ‘ㄱ, ㄷ, ㅂ, ㅅ, ㅈ’을 된소리로 발음한다."라고 되어 있는데, 이것은 받침이 있어서 사이시옷을 붙어 쓸 수 없을 경우에만 해당하는 것으로 보입니다.
그렇다면 도수라는 단어는 도의 수라는 뜻으로 관형격 기능을 지니기 때문에 돗수라는 발음이 맞는 것인지, 아니면 어떠한 이유로 도쑤로 발음되는지 궁금합니다!’
だいたい
度数の発音が도쑤になるのは何故か、規定の内容から自分はこう考えたのだが何が正解なのか…
という内容です。
帰ってきた答えがこちらです。
漢字語の濃音化は一律的ではなく、発音原理を提示することはできない。標準発音については辞書で確認してください。
だそう。
😅
無条件でこれ!と言えるものはないからもうあとは自分でいちいち調べるしかないそうです。
仕方ない。いちいち調べます。
ということで!今回は濃音化についての備忘録でした!
韓国語学習者の方々に少しでもお役に立てたら幸いです😊
またお目にかかります😆